[中検2級対策]“游几十米泳”はなぜ間違いなのか?動量補語・数量詞を整理して理解しよう
語学学習は間違いの連続である。
しかも中級に差しかかる頃には、「一見正しそうなのに間違い」という、やっかいなパターンが増えてくる。
私が中検2級対策でネイティブの先生に作文を添削してもらった際に指摘された“游几十米泳”もその一つだと思うので、今回はこの表現について考えてみたい。
「合格奪取!中国語検定2級 トレーニングブック 筆記問題編
」翻訳(日本語→中国語)練習150問の第16問目。
これを中国語に翻訳する問題で、私が“我会游泳,但是只会游几十米泳。”と書いたところ、先生から容赦なく赤ペンを入れられた。
ちなみにトレーニングブックの解答例も、
なので、先生の添削と同じである。
トレーニングブックの解説には
“会”と“能”の使い分けに関しては、手持ちの文法書「中国語わかる文法」に書いてあったので解決したのだが…
“游几十米泳”はなぜダメなのか?どこがどう間違っているのか?
解決できないままである。
1.「泳ぐ」=“游泳”と習ったから
2.「泳いだ距離」=「どれだけ」泳いだか=泳ぐという「動作の量」を表しているのだから「動量補語」だ!と思い込んでしまったから
という理由がある。
“游泳”は「動詞+目的語」構造の離合詞なので、離合詞の動詞部分と目的語部分の間に動量補語を入れられるかどうかを試されているのだと思ったのだ。
しかし、結果は上述のようにバツだ。
なぜか?
それは、距離は動量補語ではないからだ。
手持ちの参考書や文法書を見ると、動作の「回数」を表すのが動量補語であるとしか書かれておらず、距離はこれに該当しない。
じゃあ“几十米”は何だ?
文法書的には、単なる数詞+量詞すなわち「数量詞」である。
数量詞はざっくりと、名詞の前に置いて事物の数量を示す「名量詞」と、動詞の後に置いて動作行為の数量を示す「動量詞」の二種類に分けられる。
名量詞は名詞の前に置くのだから連体修飾語として機能し、動量詞は動詞の後に置いて補語となる。
“几十米”について考えると、“米”は「メートル」を表す量詞なので、“几十米”は動量詞ではなく名量詞に分類されそうだ。
実際、トレーニングブックでも名量詞(度量衡)一覧のページに“米”が載っている。
“几十米”が名量詞なら、“几十米”の後ろには修飾される名詞が要るのではないか?と。
たとえば“三本书”に“书”が必要なように。
だったら“游几十米泳”も成り立つのではないか?と。
しかし、先生が言うにはこれは成立しない。
名詞としての“泳”に量詞“米”は結びつかないらしい。
さらに“游几十米泳”だと、動詞“游”に対して“几十米”と“泳”という目的語が2つある状態になってしまい不自然だと言われた。
「でも“几十米”って連体修飾語ですよね?なんで修飾語が目的語になれるんですか?」
先生は“米”は量詞というより名詞だと考えているそうだ。だから“几十米”は名詞として目的語になれる、という説明だった。
ただし、これは一般的な説ではない。
あまりスッキリしなかったので上で紹介した文法書を読み直すと
一つお断りしておくと、ここまでずっと“游几十米泳”を間違った表現として扱ってきたが、先生曰く“游几十米泳”は「ヘンな感じはするが問題なく通じる」だろうとのことだった。
中国語ネイティブにもごく一部ではあるが“游几十米泳”のような間違いをする人はいるらしい。なので、文法にこだわりすぎる必要はない、とも。
まあ、その通りだとは思う。どんな言語も時代とともに変化するものだ。
と同時に、文法は単なる規則ではなく、伝えたいことを正しく相手に届けるために欠かせないものだとも考えている。
だからこそ私は、こういった「一見すると正しそうだけれど、実は間違っている表現」に出会ったとき、なんとなくやり過ごすのではなく納得できるところまで突き詰めたいと思ってしまう。
今回、“游几十米泳”という間違いをしたことで、改めて動量補語や量詞について学ぶきっかけになった。
そして、この間違いがより深い理解をもたらしてくれたように思う。
この記事が私と同じような疑問を抱えた学習者のヒントになれば幸いだ。
しかも中級に差しかかる頃には、「一見正しそうなのに間違い」という、やっかいなパターンが増えてくる。
私が中検2級対策でネイティブの先生に作文を添削してもらった際に指摘された“游几十米泳”もその一つだと思うので、今回はこの表現について考えてみたい。
「合格奪取!中国語検定2級 トレーニングブック 筆記問題編

![]() |

- 私は泳げるけど数10メートルしか泳げない。
これを中国語に翻訳する問題で、私が“我会游泳,但是只会游几十米泳。”と書いたところ、先生から容赦なく赤ペンを入れられた。
- 我 虽然 会游泳,但是只 能 游几十米 。
ちなみにトレーニングブックの解答例も、
- 我虽然会游泳,可是只能游几十米。
なので、先生の添削と同じである。
トレーニングブックの解説には
「〜だが、しかし〜」は“虽然…,但是/可是/不过…”。助動詞“会”と“能”の使い分けに注意しましょうとだけ書かれていた。
“会”と“能”の使い分けに関しては、手持ちの文法書「中国語わかる文法」に書いてあったので解決したのだが…
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練習によって「泳げる」のは“会”に限る。しかし、「100m泳げる」のように能力のレベルや程度を表すには“能”を用いる。
“游几十米泳”はなぜダメなのか?どこがどう間違っているのか?
解決できないままである。
動量補語と数量詞の違い
そもそも私が「数10メートル泳ぐ」を“游几十米泳”と書いてしまったのは1.「泳ぐ」=“游泳”と習ったから
2.「泳いだ距離」=「どれだけ」泳いだか=泳ぐという「動作の量」を表しているのだから「動量補語」だ!と思い込んでしまったから
という理由がある。
“游泳”は「動詞+目的語」構造の離合詞なので、離合詞の動詞部分と目的語部分の間に動量補語を入れられるかどうかを試されているのだと思ったのだ。
しかし、結果は上述のようにバツだ。
なぜか?
それは、距離は動量補語ではないからだ。
手持ちの参考書や文法書を見ると、動作の「回数」を表すのが動量補語であるとしか書かれておらず、距離はこれに該当しない。
じゃあ“几十米”は何だ?
文法書的には、単なる数詞+量詞すなわち「数量詞」である。
数量詞はざっくりと、名詞の前に置いて事物の数量を示す「名量詞」と、動詞の後に置いて動作行為の数量を示す「動量詞」の二種類に分けられる。
名量詞は名詞の前に置くのだから連体修飾語として機能し、動量詞は動詞の後に置いて補語となる。
“几十米”について考えると、“米”は「メートル」を表す量詞なので、“几十米”は動量詞ではなく名量詞に分類されそうだ。
実際、トレーニングブックでも名量詞(度量衡)一覧のページに“米”が載っている。
“几十米”は名詞になれるのか?
ここまで整理して、私は迷宮にハマってしまった。“几十米”が名量詞なら、“几十米”の後ろには修飾される名詞が要るのではないか?と。
たとえば“三本书”に“书”が必要なように。
だったら“游几十米泳”も成り立つのではないか?と。
しかし、先生が言うにはこれは成立しない。
名詞としての“泳”に量詞“米”は結びつかないらしい。
さらに“游几十米泳”だと、動詞“游”に対して“几十米”と“泳”という目的語が2つある状態になってしまい不自然だと言われた。
「でも“几十米”って連体修飾語ですよね?なんで修飾語が目的語になれるんですか?」
先生は“米”は量詞というより名詞だと考えているそうだ。だから“几十米”は名詞として目的語になれる、という説明だった。
ただし、これは一般的な説ではない。
あまりスッキリしなかったので上で紹介した文法書を読み直すと
数量詞連語が名詞の修飾語になる場合、文脈によっては名詞を省略し、そのまま名詞に代わり得ることがあり、その点から数量詞連語は名詞性の語句とみなされやすいという記述があったので、とりあえずは“几十米”も名詞とみなしてよい、と考えることにした。
まとめ
こうして、“游几十米泳”はなぜ間違いなのか?という問題について、ある程度の納得には到った。一つお断りしておくと、ここまでずっと“游几十米泳”を間違った表現として扱ってきたが、先生曰く“游几十米泳”は「ヘンな感じはするが問題なく通じる」だろうとのことだった。
中国語ネイティブにもごく一部ではあるが“游几十米泳”のような間違いをする人はいるらしい。なので、文法にこだわりすぎる必要はない、とも。
まあ、その通りだとは思う。どんな言語も時代とともに変化するものだ。
と同時に、文法は単なる規則ではなく、伝えたいことを正しく相手に届けるために欠かせないものだとも考えている。
だからこそ私は、こういった「一見すると正しそうだけれど、実は間違っている表現」に出会ったとき、なんとなくやり過ごすのではなく納得できるところまで突き詰めたいと思ってしまう。
今回、“游几十米泳”という間違いをしたことで、改めて動量補語や量詞について学ぶきっかけになった。
そして、この間違いがより深い理解をもたらしてくれたように思う。
この記事が私と同じような疑問を抱えた学習者のヒントになれば幸いだ。

間違いから学ぼう[中検2級対策]作文(日文中訳)問題――「夢で彼女に会う」って中国語に訳せる?
クリスマスを過ぎたらすっかり年末ムード。
家の片付けをしていたら、今年の初め、中国語検定2級対策のため勉強していたときのノートが出てきた。


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